斉藤惇夫

現在(いま)、子どもたちが求めているもの
- 子どもの成長と物語 -

現在、子どもたちがもとめているもの

感受性においてどうしても彼らにかなわない私たちおとなは、 せめて奥付(書物の巻末の、著者名や発行年などを記した部分)を見るという習慣だけはつけておきたいものです。
ああこれは1902年生まれの外国生まれの絵本で、 わが国で翻訳出版されたのは1972年で、今90刷り、 この本は日本の創作で1963年生まれ、100刷りを超えている。
これだけ長い間生き延びて、重版も繰り返されてきたのだから、 もう両方とも絵本と言っていいな、と、まあこんな具合です。
この奥付はご存じ「ピーターラビットのおはなし」と「ぐりとぐら」です。

スト―リーとプロットは、日本では筋書き、と普通訳され、同じ意味で使われていますが、 フォスターの文学論「小説とはなにか」を読みますと、 「王様が亡くなられて、つづいてお妃様も亡くなられた」というのがストーリーで、 「王様が亡くなられて、悲しみのあまりお妃様もなくなられた」というのがプロットということになります。
子どもたちが「それからどうなったの?」と聞くのがストーリー、 「どうしてそうなったの?」と聞くのがプロットというわけです。
皆さんがお好きな物語が、ストーリーとプロットの絶妙の組み合わせによってできていることはお分かりでしょう。

昔話の残酷性の議論はいいかげん終わりにしたいですね。
大切なことは、子どもたちが何の抵抗もなく、すっと昔話の中に入っていくということです。
幾度も繰り返しますが、幼い子どもたちにとっては、水先案内人、道連れがいてのことですから、 その点だけは押さえておいてください。

昔、堀内誠一さんが、自分には誇れるものなど何一つないが、かつて、 自分が子どもだったということだけは誇れる、とおっしゃったことがありました。
真実はそこにあると思います。

皆さんが、物語をお子さんに読んでおあげになるということは、その行為そのものは実にささやかな、 小さな、とりたてて言挙げするようなことではないのですが、 けれども子どもたちは、読んでもらう物語を通して「行って帰る」体験を積み重ねながら心の拠り所を確認している、
そして、主人公に自己同一化しながら自己を超える体験を、 あるいは日常生活でしかしらない自分の殻を脱ぎ捨てて新たな体験、それこそ文字通りdis cover 被いをとる、 という体験を積み重ねていっている。
さらにこどもたちは時空を超えて自在に人間の心の奥にまで入り込みながら、この世界の深みと広さを感じとっているのです。
つまり、こどもたちは、みなさんが読んでくださったりする物語を通して成長していくというわけです。


冒険者たち: 訳 斉藤惇夫