講演会

2008年07月31日

有森裕子さん <運を引き寄せる>

20080730arimori1.jpg鳴かず飛ばずの高校時代。
唯一の実績は、有森さんが高校に入学した時に始まった全国都道府県駅伝大会に、3年間かろうじて補欠で登録されたということだけだった。
この大会も最初のころは、知名度もなく、今だったら、その当時の実力では補欠も無理だったはずと本人の弁。
第三回大会も補欠になってしまった時、流石に「やめなきゃ。」と思ったそう。
やめたいと思ったことは一度もないが、みんなに迷惑をかけていると思った時、やめなければと思ったのだ。
それを、入部の時、シロウトはいらん!と突っぱねたあの先生に伝えると「ほんとに、やめるのか?」と引き留めてくれた。
有森さんには、最高の褒め言葉に思えたそうだ。
「走りたいのなら、オレが大学を探してやる。」とその先生の母校 日体大に推薦状を書いてくれた。
めでたく入学が決まるのだが、後 その推薦状の言葉というのは、「実績はないが、やる気だけは保証する。大学で是非とも、伸ばしてくれるようお願いする。」という談判状にちかいものだったらしいと聞く。(笑)
その先生のためにも、大学に入ってからでも、全国都道府県駅伝大会の正規の選手として出場したいという夢はかなったのだが。。。
 

大学に入ってからも満足な実績は残せず、卒業後はあの小学校の時の恩師のような体育教師を目指そうと決心する。
ところが、教育実習の最中に友人から誘われた記録会で、まさかの好タイムで優勝。
何も練習せずにこの快挙、未だ、出来るかもと またまた浮上。(笑)実業団を目指すことになる。
だが、全国に散らばる実業団にどうやったら入れてもらえるのか皆目見当もつかず、悶々と時間だけはは過ぎていく。。。
数日後「有森〜!元気?」と友人からの電話。たわいもない世間話をしていたところ、友人は、神戸の高校生インターハイの会場から電話をしてきたというのだ。
「え?実業団の人?ぜ〜んぶここに集合してるよ。ここに来れば?」
これには、びっくりした有森さん。
「人間、必死に願えば、運は引き寄せられる!」と確信したエピソードだった。
で、ここでリクルートの小出監督に出会い、国体?インターハイ?区間賞は?と緊張のいつもの質問。
そのうち褒めるところがないと知るや、「有森さんの爪はが健康そうだねぇ〜。」とか言い出されてしまった。(笑)
ピーンチ!!
「環境とメニューが整えば絶対に結果を出します!だめだったらすぐ辞めます。ご迷惑は、おかけしません。チャンスを下さい!!」
この意気込みで、小出監督ばかりでなく、人事部長もノックダウン!!
「あなたのような、やる気のある選手を探していた。」と言わしめたのだ。
<人間、ダメだと思ったらダメ!自分次第です!>
アトランタでの「自分で 自分をほめてあげたい。」の名言は、この講演会で半生を伺ったからこそ、その真意を知ることとなったのだ。
これからのご活躍をも、期待したいと思う。
ちなみに、北京オリンピックの17日女子マラソンの解説をなさるそう。
ぜひ、お見逃し無く!!

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2008年07月30日

有森裕子さん <へこたれない>

20080730arimori3.jpg「昨日も言うたじゃろが〜〜!!うちはシロウトはいらんのんじゃっ!!」。(岡山弁)
やっと、陸上でやっていこうと決めて入った高校での、顧問の先生のストレートパンチ。
ヘッ?
有森さんは、納得がいかない。
高校の部活動を、断られるなんてことがあるのか、そればかりか未だ自分の思いも伝えていない。
それから、その顧問の先生の現れる4カ所(教員室や競技場など)にそれとなくチラチラと見えるように1ヶ月間毎日、ふらついた。(笑)。
「おまえはなんなんなぁ〜?
うちは、中学からできる生徒を引っ張ってきている。おまえが入ってきても惨めになるだけや。」
そう言われても、有森さんは引っ込まなかった。
小さい頃から、一度で何かが出来た試しがない。
それが幸して、引き下がらない性格を作っていったんだと。。。
「有森のことを知れば、有森よりはまだ自分の方がマシって絶対思います。(笑)」
そんな〜、ご謙遜を〜。曲がりなりにもオリンピックでメダルを2枚も持っているじゃありませんか?
 

出産のお話からはじまった。
股関節脱臼の赤ちゃんとして生まれた有森さん。運動どころではなかった。
0脚のため、よく転び、成長しても真っ直ぐに歩くことが、ままならない状態だったそう。
その有森さんに自信をつけさせてくれたのが、小学校の時に出会った安藤先生。
「人のことを気にするな。人と一緒じゃないことはいかんことか?有森にだって人には無い いいものを持っているんや。頑張り続けなさい。何でもいいから一つ見つけなさい。」
小学校を卒業し中学では、バスケットクラブに入ってみた。
安藤先生の言う通り、諦めず3年間頑張ったものの、チームプレイは苦手だと言うことに気がついた。
「おまえはホントに、無駄に走り過ぎる。」とバスケの先生に言われた。
なんの取り柄もない自分が中学時代、唯一自信をつけた競技が運動会の800m走だった。
一番ヒーローヒロインになれる、花のある競技だが、一番苦しい競技でもある800m走。
なぜ、自分より早いあの子は手をあげない?
もしかして、これはイケルかも?と立候補した。
その後苦労して得る、<出場権>もこの時ばかりは、簡単に手に入れた。
一生懸命練習し、3年間優勝し続けた!!嬉しかった〜〜〜!!と。(拍手!!)
これが、有森さんの、マラソン人生のスタートだったと本人の弁。
 
陸上部を目指して入った高校で、先の先生に聞かれる。
「うちの陸上部に入っている子は、大会での優勝経験者や記録保持者、国体やインターハイにいく子たちなんだ!おまえは何か実績があるんか?」
「え〜とっ、体育大会の800m走で優勝しました。」
「体育大会?」
「運動会です。」
「あほかっ!!」
結局、やる気を買われて陸上部に晴れて入部。
嬉しくて嬉しくて、その時購入した陸上用のスペシャルシューズが、実はバスケットシューズだったことに気がつくのは、それから1年後なのだが。。。

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2008年07月29日

有森裕子さん

20080730arimori2.jpg「よろこびを力に。。。」と言う演題で、今日の6時半より、名鉄ホテルで有森裕子さんの講演会があった。
マラソン大会中、実況アナウンサーが語る、エピソードでは「苦労人」だとか、会う人はみなファンになってしまうとかは聞いて知っていて、どんな方なのか一度お会いしてみたかった。
今日、お話を聞いて、こりゃ、スゴイ信念の方で、ビックリだった。
生半可の自己啓発セミナーなんかより効く〜〜〜〜〜!
こんな風な人生、私だったらどこかでへこたれている。
神様は、やはりその人に合わせた試練を準備しているんだなと思った。
小学生や中学生の陸上部の子も来ていたが、得したねぇ〜、君たち!
陸上だけではなく、<へこたれない>とか<運を引き寄せる>とはどういうことなのか、よ〜〜く分かったにちがいない。
人生の試練に訪れる、幸運の喜びを有森さんがいかに力にしてきたかが、ほんとうに分かるお話だった。
ヤヤダダも連れて来れば、良かった。。。
続きは、また明日!!

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2008年06月22日

■五味太郎の時間です■

20080622gomi.jpg<浜松子ども文庫のつどい>主催の講演会も、今回で10回目。
その栄えある10周年に、この人しかいないっしょ、の五味太郎!!
すごーい!!ほんとによんじゃったんですね〜。
人と会う時は、先入観を持たないのだが、今回はあまりにも大物で情報にも年期が入っているため、いつもより、トーンダウン気味の私。
デザイン関係の友人が、<五味太郎>好きだったので、子ども関係ではなく五味太郎>を知っていた。
メディアにもしばしば登場するが、とにかく とんがっていて編集者泣かせだし。。。
う〜〜ん、人の意見は聞かない?な〜んて、勝手に会う前からイメージをつくってしまっていた。
それが、どうでしょ、会ってみると、意外にもいい人なんだな、これがまた。
 

<五味太郎イズム><五味ワールド>に、ドップリ浸かった2時間。
メディアを通した辛辣な言葉は、こんな顔をして言っているのだと言うことが分かっただけでも、講演会に行った価値があった。
とにかく、五味さんの言葉はストレート。
「なんで、読み聞かせをするの?」「読み聞かせは子どもをなめている!」
読めないから読んでやる!というのは、あまりにも子どもに失礼でしょ、余計なお世話でしょ。
いきなり読んでやる!のは、ストーカー。
唯一許されるのは、子どもが「これ読んで!」と言った時。
絵本と言うぐらいなんだから、せめて絵を学んで、そして絵を携えて、子どもに提示して!
フムフム。ね、辛辣なんです。
でも、絵描きさんからの言葉として受け取っても一理ある。
子どもを尊重していると感じる言葉の数々。
子どもを区別せず、子どもがいるという社会を意識しているだけなのだ。
子ども用が出来た時点で、おかしくなってきたと言う。
軽くて、ちっちゃくて、安い???
子どものために!という似て非なるものが出てきてしまった。
しかし、五味さんはその風潮に流されず、独自の世界を確立してきたのだ。
子どもの味方というよりも、子どもの良き理解者として、子どものためにではなく、自分のために歩まれてきた。
そう分かった時、かなたの五味さんが、隣のおじさんぐらいに近づいた瞬間だった。

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2008年01月19日

浅野温子さん

20080119akuto.jpg全国の神社で、「古事記」の読み語りを繰り広げている女優 浅野温子さん。
うわさでは知ってはいたが、まさか聞きにいける幸運に巡り合わせるとは。
35回の開催場所は、伊勢神宮 を皮切りに全部 神社での上演。
36回目の今日が、神社以外の舞台、アクト ホールでの公演。
今までとちがって、神社での神聖な夜気や森厳さを、どのようにこのホールで演出するか、興味のあるところだった。
会場の誘導灯の光さえも消しての暗闇の中、バイオリンのソリストが弦をつま弾き、いよいよ逆光ライトでの浅野さんの登場。
うん、神の降臨のイメージ。
舞台脇からの(扇風機での)風も、なかなか侮れない。
浅野さんの12もある演目の中で、今回は何をやるのか知らされていなかった。
女優さんだし、天照大御神(あまてらすのおおみかみ)が、天の岩屋戸にお隠れになる話あたりかと、予想していた。
だが、予想に反して、須佐之男命(すさのおのみこと)なんて、いかつい神様を演じておられた。
当たり前だが、さすが女優さん!取り憑かれた様に七色の声を酷使した、大蛇退治の語りには、グイグイと引き込まれてしまった。
 
 公式ページ:日本神話への誘い
 

八岐大蛇(やまたのおろち)8匹は、それぞれ父 母 兄弟 という家族だったという新鮮な解釈で、愛を語ったのには、少々ビックリだった。
が、台本を手に持ち、1000人以上の観客の前での1時間の迫真の語りは、やはり一見の価値があった。
第2部は、日本の文化を考える会の会長、宮崎さんや、浜松市長の鈴木康友さんを交えてのディスカッション。
語り舞台から降りると、ほんとうに気さくな女優さんだったのが印象的だった。
「教育を考える」と題していたのには、観客の3分の1が小中学校の先生だったからだろうか?
そんな題目ではなく、自由にこのプロジェクトの話や宮崎さんのお話を伺えたらなんて思われる程、時間がアッと言う間だった。
帰りに1階の席で見ていた友人が、「涙を流しての迫真の語りだったけど、声がくぐもったりしないのは流石だよね〜」と言っていた。
エッ?!涙流しての語り?分からなかったよ〜。
学校別 無差別割り振りチケットで2階席だったのは残念だったけど、十分、楽しんだ「神話への誘い」だった。

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2008年01月18日

世界の人々に出会って

20080118sakamoto.jpg「4年3ヶ月も有給休暇をもらって世界一周5万5000キロを自転車で走ってきちゃった男」本の副題にはこう書かれている。
そのご本人、坂本 達さんが書かれた「やった。」「ほった。」を今、読み終えた。
去年の12月のラボパーティーの記念講演会が、まざまざと思い出された。
ギニアの民族衣装で登場され、人なつっこい笑顔で、会場を沸かせてくれた達さん。
自転車で世界を一周した人というので、どんなにゴッツイ人なのかと思ったら、予想に反して体育会系というよりも、お笑い系の方で、子どもたちにも大受けでしたね。
でも、やはりお話を伺うとスゴイ!!方でした。
 

お父様の仕事の関係でフランスに住んでいたこともあり、自転車も、世界も身近なものとして捉えられる環境ではあったようですが。。。
小学校の5年生の時に、早 世界一周の夢を持ち、社会人になってからも夢は捨てなかったのだそう。
小児麻痺を自ら克服して創業した「ミキハウス」の社長さんが、これまたスゴイ。
社員の中に一人ぐらいこんなヤツがいてもいいだろうと、後押ししてくれるのだ。
自転車で世界一周である、そりゃ〜もの凄い体験をしているのだが、強靱な意志でとか、ガッツで、根性でとかで乗り越えたという感じがしない。
ご本人の風体と同じく、ユラユラと乗り切ってしまう。
その幸運の奥には、達さん自身の謙虚さが見え隠れする。
旅を通して学んでいったこともあるのだが、その前にやはり達さんのご両親の育て方が、幸運の子どもに達さんを育てていったようだ。
本の題「やった。」はもちろん世界一周の成功を題して。
「ほった。」はその旅で、命を救ってもらったアフリカの村に本の印税で井戸を掘るという、ご恩返しの話。
世界中の写真をスライドで見せ、笑いを取りながらながら、さり気なく何処に行ってもやっていけるコツを子どもたちに、伝授。
子どもにとっても、大人にとっても、とても大事なことを教えて頂いた、有意義な時間だった。

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2007年11月20日

那須田 稔さんを囲んで

20071120hikumano.jpgここ浜松の出版社「ひくまの出版」を立ち上げ、今も児童文学者としてご活躍なさっている那須田稔さんのお話会に行ってきました。
浜松文芸館の一室で、参加者12名、それこそ膝を交えてじっくりと、お茶をしながらリラックスした雰囲気でのお話会でした。
「ひくまの出版」の立ち上げのエピソードから、この会社の転機となった作品「さとこの日記」の話、これまた児童文学者の息子さん那須田淳さんの話、今 手がけている作品などなど、貴重な話を聞くことができました。
地方で全国出版を展開していく中で、何でもかんでもではなく、納得するいいものを世に出していくという信条は、淘汰される出版業界では必要な事だと感じました。
今日、那須田さんがお持ちになったのは、「ちいさなドラゴン ココナッツ」「うずまき貝のロケット」と「忍者サノスケじいさん」。
「忍者サノスケじいさん」は、先ず子どもたちに親しみやすい本を ということで20年前に書かれた本なんだそうです。
そして来年、30周年を迎える「ひくまの出版」を記念して、このサノスケじいさんをシリーズ化(全50巻)しようと、社長(奥さん)との会議(2人)で決定したのだそうです。(笑)
  

とても出来ないと弱音を吐いていたら、息子さんの淳さんが、サノスケじいさんの昔の忍者学校の同級生を訪ねる旅シリーズにすれば!と言うアドバイスをもらい、これなら書ける!と思ったのだとか。(笑)
ベルリンの淳さんに、原稿をメールでチェックしてもらっていると、嬉しそうにお話なさっていました。
この作品は、頭打ちになっている「サザエさんシリーズ」の差し替え作品として、そのアニメ会社からのオファーがあり、来年3月の国際アニメーションフェスティバルの参加が決定しているのだそうです。
確かに、おじいちゃんと孫のアニメというのは目新しいと思いました。
那須田さんがこの本を読んでくださったのですが、ほんとうにニコニコと嬉しそうで「サノスケじいさん」と完全にかぶってしまいました。
那須田さんが50年近くいるこの文学の世界で思うことは、夢見る世界はものを作っていく力、そして生きる力、ひいては、人間力なのだと。
サノスケじいさん。。。じゃなく那須田さんの共感しあえる世界を「ひくまの出版」を通して、影ながら応援していきたいなと思いました。

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2007年11月09日

ハートをつないで

20071109kougi.jpg静岡県立浜松盲学校から、「桑田信夫先生、鈴木道子先生」をお迎えしての総合学習の授業が、ヤヤの小学校であった。
音楽室に4年生、3クラス、お二人のお話をメモするように子どもらは、それぞれ筆記用具を手に、真剣な面持ち。
拍手で入場なさった先生は、所作になんの違和感も無かったため、お二人とも健常者なのかと思った。
ところが、桑田先生の方は視力0,04と言うのだから、ほとんど見えていらっしゃらないのだ。
この先生のお話に、みな真剣に耳を傾ける。
ご自分のお小さい頃の話から、学校の話、学校に通う生徒たちの話。
 お二人のお話は、私にも興味深いものだった。
 母はいろんな事を考えさせられたけど、4年生のみんなは、今日のお話を伺って何を感じたんだろう。
 

普段感じていることは何ですか?という子どもの問いに、
「今時の子ども。。。」と、この頃 揶揄されるが、今の子の方が、昔よりずっと、優しくなったと感じるそう。
いつも、登校する時間に高校生の子どもらに「頑張ってください。」と声を掛けられたり、バスの降車ボタンの位置を丁寧に教えてくれたりするのは、若い子らだそう。
 それよりも、年配の方に心ない言葉をかけられたりする。
一番緊張するのは、駅の構内だそうで、「手引き」をしてくださるといらぬ緊張から解放されるとのこと。
で、手引きの方法を子どもらに指導。
「肘の少し上を持たせる。肩の上というやり方もあるのだが、背の高い人だと長い道のりの場合、大変疲れる。」
その間は、「少し、狭くなります。 とか右に寄ります。」 とか声を掛けながらだと安心する。
そういえば以前、盲人の方の手引きをした時、肩に置いた手が何気なく肘に移動したのは、そういう事だったんだと思いあたった。
それから、バス通勤のご苦労は大変なもので、桑田さんが遠鉄バスに電話をして、自分の現状を伝えたところ、バス停の「声の案内」をすぐ取り付けてくれたと、いたく感謝なさっていた。
えらいぞ、遠鉄バス!!
日本のアナウンスは海外と比べると、親切すぎるとの批判もあるが、桑田先生のお話を伺うとあながちまちがっているとは言い切れないと思った。

「知る」ということから、偏見は無くなり、思いやる気持ちも育まれると思うので、ヤヤの学校のこういう取り組みは素晴らしいと思う。
その要請に応えていただいた、桑田先生、鈴木先生 ほんとうに有り難うございました。

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2007年11月08日

小松崎進先生 講演会

20071108kouenkai.jpg「この本だいすきの会」という全国展開している読み語りの会の浜松支部を、友人のさくらちゃんが立ち上げました。
今日、その発足記念講演会に行ってきました。
さくらちゃんから、お噂は聞かされていましたので、絶対にお会いしたかったのです。
ほんとに行って良かった〜。好々爺とは、この先生のような方のことでしょうか。
見るからに穏やかで、初めてお会いしたのに、先生の側にいるだけで癒される感じです。
かなり大きい大学の講堂を「立ち見」まで出すほどの先生とはお聞きしていましたが、お会いしてしっかり理由が分かりました。
ほんと、オーラがちがいます!!
元小学校の先生だそうですが、こんなお優しい先生に教わった子らは、どんなに育ってるの?と思うと、いまだに先生を囲む会が幾つもあるそう。
分かるなぁ〜。
その囲む会でも、読み語り。(笑)
40代、50代、60代  の教え子に思い出の絵本を読んであげるのです。
今日ほど1番前に座って良かったと思った日はありませんでした。
 

先生のいぶし銀の「読み語り」をまるで、私だけにしてもらっているような至近距離で聴けました。
何が違うのでしょう?
絶妙な間? 落語の真打ち、それも大御所の語りを聞いているような、そんな気がしました。
学級崩壊状態の学校へおもむき、「読み語り」をなさって、その荒れた子どもの心をわしづかみにしてしまう話は、
この先生を知ればうなずけます。
障害者の学校での読み語りの後に、小さい女の子が小松崎先生の肩を触ります。
座れと言うことだと思い座ると、なんとその女の子はペロペロ、小松崎先生の頬をなめるんだそうです。
されるがままにしていると、担任の先生が、この子は本当に読み語りが楽しかったんだろうと泣かれたそうです。
小松崎先生の「読み語り」がこんなに人の心を掴むのは、やはりこの先生のにじみ出るお人柄からなんだろうと思いました。
一生で一回しかお会いできないかも知れない方であっても、一生涯忘れることが出来ない ということがあるものです。

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2007年11月06日

特別講義 造形基礎

20071105hon.jpgヤヤダダの幼稚園の時にお世話になった、絵本クラブの顧問M先生のお計らいで、またもや短大の授業に潜り込ませて頂きました。
大山恵子先生は、松居直さんに教えを受けた現役の幼稚園の先生で、保育の現場に絵本を取り入れ、保育の柱となさっています。
実際に、絵本から遊びや作品に発展させていくのは流石プロ!
子どもたちが、その絵本に感化され何かをしたい、やりたいと思った時に広げてあげるのだと言っておられました。
子どもの気持ちに添って、ご自分もその楽しさを、共有なさっているのがよく分かる、お優しい先生でした。
将来幼稚園の先生を目指す学生さんには、とても参考になったのではないでしょうか?
大山先生が松居さんの言葉を思い出すエピソードが有りました。
 

「めのまどあけろ」という絵本を、子どもに読み聞かせをすると、あるページで必ず子どもたちは盛り上がる。
その前ページになると、ダラダラ聞いていた子も居住まいを正す。(笑)
そしてそのページになると、全員で「せっけんさんがすーべった!!」と大声で叫ぶのだそうだ。
その経験をした大山さんは、松居さんの言葉を思い出します。
「子どもは、好きな言葉を食べる。食べた後にはき出す。」
そうそう、こういうことは絵本を読んであげると良く有ります。
読んでいる方も、必ずその言葉のテンポの良さで、気が付きますね。
聞いている子どもも、耳に心地良い響きで、食べてしまうのでしょう。
こうやって、子どもは母語を獲得していくのかなぁ〜と思うのです。
絵本はほんと奥が深い!
その奥の深さを子どもだけは、なんなく見抜いてしまうのですね。
その本の表紙と裏表紙を同時に見せると、子どもたちからブーイングが起きるのだそうです。
つながっていないと。。。
やはり、この本の表紙と裏表紙は同時には見せてはいけないのです。
子どもたちには、ちゃーんと分かっているのです。
絵本のテキストも 絵も、そして読み手も子どもには、ないがしろには出来ないことが良く分かった講義でした。

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2007年11月03日

Dr.中松講演会

20071103nakamatsu.jpgアクトで、10時から11時まで「第29回小中学生発明くふう展」の表彰式で、その後、Dr.中松の講演会。
タロヤヤダダとワクワクして会場につくと、何やら物々しい雰囲気。。。
たぶん主催している浜松経済クラブ(浜松の40才以下の若手の経済人ーつまり若旦那集団)のスーツ軍団が、
キビキビと受付から何から何まで仕切っているためなんでしょう。
緊張がこちらまで伝染してしまいそう。
来賓の方々も浜松副市長、浜松科学館館長、小中学生発明会とか、なんとか発明研究会とか理科研究会、少年少女発明クラブ等々。
タロさんも私も口あんぐり。こんなに力入れているのねぇ〜。
物作りの街、未来の浜松の担い手を育てるというところがこのコンテストの意義のようだ。
科学・理数教育に力を入れ未来の人材を育てるという市の思いに先駆けてのコンテストのため、これから年々歴史に重みの出るコンテストになっていくのが、想像できる。

 各受賞者の発明品を、大写しのスライドに紹介しながらの授賞式が終わった。
ビックリしたのが、受賞者の約半数が和田小学校の生徒たち。
1300点の応募作品は各学校の代表なのだろうが、その中で受賞者をこれだけ出すというのは、先生の指導力のたまものだろう。素晴らしい!!
もちろん学校賞は「和田小学校」。
 

そして、ヤヤが体調を整えて整えて臨んだ「Dr.中松講演会」。
前から3列目、丁度Dr.中松の視線の先に陣取り真剣にお話を伺いました。
想像通りのユニークな方で、向こうは知らないが、こっちは知ってる気安さで、始終ニコニコの我が家族。
Igノーベル賞の受賞式の様子を大写しのスクリーンに映してくださり、まるでここがハーバード大学の受賞式その日の様な錯覚を憶えました。
「ほら、僕の時に拍手が多いでしょ。」とかDr.中松のコメントが結構笑えます。
「ノーベル賞の受賞は、ある日突然電話がかかってくるのです。コツコツ勉強すれば、世界から認められるのです。」
そうですかぁ〜?!私には、ほとんどジョークにしか聞こえないのですが、子どもたちは純真に素直に受け止めているようでした。
「お父さんもそうですが、特にお母さんが勉強して欲しいですね。」  う! ドキッ!
やはり、Dr.中松の母は偉大でした。子ども時代の逸話はとても真似できそうも有りませんでしたが、子どもを信じる心意気は頂きました。
Dr.中松72才、102才のお母様のお言葉。
「あなたはもっと伸びます。だからガンガンやりなさい。」 

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2007年10月20日

PTA講演会

元浜松中央図書館館長、今は子育て支援課長、浜松にこの人有りの「辰巳なお子さん」のお話だった。
辰巳さんには、ヤヤダダが小さい頃からお世話になっている。
図書館の窓の隣、手を伸ばせば届こうかという駐車スペースに車を止め、ヤヤ赤ちゃんの寝顔を見ながら本を探していたら、叱られた思い出がある。
それから数年後、辰巳さんの読み聞かせでヤヤと拍手をしたら、「拍手はいりません。芸じゃないんだから!」なんて言われたことも。
自分にも、他人にも厳しく、子どもには優しい辰巳さん!今日のお題は「子どもの成長と読書」。
何回かお話を聞く機会が有ったのだが、毎回立ち姿も凛と美しく、鈴を転がすようなお声で、淀みなくお話なさる姿に惚れ惚れ。
今回も、含蓄のあるお話ばかりだったが、辰巳さんご自身のベースになったかも知れないと言われたエピソードが、とても印象に残った。
 

辰巳さんのお小さい頃、お母さんの読み聞かせは毎日だったが、それとは別に4,5才の頃、今でいうストーリーテリングをおばあちゃんにしてもらっていた。
お母さんの読み聞かせは憶えていたのだが、おばあちゃんのそれは、すっかり忘却の彼方。
ある時、仕事でストーリーテリングをする話を電話でしていたところ「あなたも、おばあちゃんに一杯お話してもらったから、同じことをするのねぇ〜」とお母さんに言われた。
4半世紀も忘れていた記憶がその時、よみがえったのだ!!
おばあちゃんのレパートリーは3つ。
「桃太郎」「一寸法師」「浦島太郎」くりかえし、くりかえし。。。
亡きおばあちゃんとの愛しい時間。
この仕事をしていなければ、思い出すことも無かったかもしれないおばあちゃんとの記憶。
でも、それは今の辰巳さんのベースになっているのかも知れないと。。。
私たちが子どもに向き合った時間は、子どもにとって忘れ去られたかのように思われるかもしれない。
そして、思春期には、ほんとうにすっかり忘れられてしまうかもしれない。(心、脳?の奥には残っているのだが)
でも、その愛しい時間があれば、必ず寄り添う時期の糧にはなる。
辰巳さんののエピソードは、読み聞かせの勧めよりもっと大きな想い、そう、子育ての極意を伝授されたような、
今の私への応援歌のような気がしました。

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2007年08月11日

第30回 夏季大学

20070811mushi.jpg午前中は国立特別支援教育総合研究所 理事長の小田豊先生の講演会。
文部科学省から左遷で。。、なんて笑いを取っていらっしゃいましたが、小田先生が体を張って「教育基本法の改正」に御尽力を注がれたお話は、感動しました。
第77条  幼稚園の目的の中の「保育」という言葉を、「教育」という言葉に変えられそうになった。
幼稚園は絶対に保育でなければならない。
法律で「教育」という言葉をかかげてしまったら、必ず次ぎに教科書が作られてしまう。。。
3月に生まれた子どもと4月に生まれた子どもが同じ学年になり、同じ教科書で学ぶということは、一人一人の子どもに沿うことではあり得ない!!
国会にも何回も呼ばれ、一人一人の国会議員さんを説得なさったと言われていました。
明文化することの怖さを、素人の私でも感じるものでした。
午後は、盛岡短期大学 非常勤講師、エッセイスト、そして絵本作家の澤口たまみさんの分科会です。
子どもを通して徐々にムシ好きになった私には、なんと良いタイミングの講演会だったでしょうか。
本当に、目からウロコ、ヘェ〜の連発。
そして、澤口さんの盛岡大学での授業中のエピソードは、爆笑に次ぐ爆笑でした。
 

曲がりなりにも将来「保育士」を目指している学生さんたちが、「ムシ嫌い」では、子どもたちの純粋無垢な自然に対する目を摘んでしまうでしょ、ということで日夜頑張っていらっしゃるのです。
しかし、嫌いなものは嫌い!という学生が毎年必ずいる。
その学生達に言い放つ、「私の授業は毛虫に頬ずりすることができたら卒業になるからね〜。」
号泣!!(笑)

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2007年06月15日

ライブ好き

20070615ozawa.jpg火曜日に昔話の大家 「小澤俊夫さん」 の講演会に行ってきた。
ほんとうに、久しぶりの講演会にワクワクドキドキ。
ライブ好きは今に始まった訳ではないが、大大大好き。
その人と同じ時間を、同じ空間で過ごすってことが嬉しい、楽しい。
その人の息遣いや、微妙な表情の変化を感じたいから絶対に前!!
でも、ライブだからなんでも前に行きゃ〜いいってもんでもないということを反省した時もある。
そんなにファンでもないのにロッド・スチュアートのコンサートの最前列。
私も友人たちもノリノリだったのに、途中からロッドが、あちら中心に歌いだした。
「ばれた。。。」友人たちと大笑い。
そして今、懲りずにライブは最前列で、その方の一番大事を見つけて帰ってくる。
今回も、小澤さんの講演会で一番のニッコリを見て、あ〜、ここがこの方が、とても大事にしていらっしゃるところなんだっていうのを見つけた。
とても素晴らしい講演会だった。
 
小澤俊夫さんの講演会の内容は、こちら

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2006年06月13日

川端誠さん講演会

20060613kawabata.jpg約1年ぶりです。
前回は、浜名湖ロイヤルホテルでの講演会。
その模様は、このHP「絵本・まみむ目」にご紹介した通り。
今日は、スタッフとして会場の裏側を見る事が出来ました。
出版社が関わっていない場合は、ボランティアの熱い思いと、
奉仕の心で成り立っているのがよ〜く分かりました。
大盛況でチケットは5月末で完売。
キャンセル待ちの方がかなりの数です。
会場のイス出しも前後左右一杯まで出していると、
「ここは、見にくいよ。」と川端チェックが入ります。さすが〜!
幼稚園の絵本クラブ員さんで、初めて作家さんの講演会に行くという方には、一押しの作家さんというふれこみをさせていただきました。
なんたって、絵本会のエンターティナー(私、命名)ですから!
「去年のロイヤルホテルでも楽しませていただきました。」と言ったら、
「あ〜、じゃあ聞いた内容だったねぇ〜。」と、川端さん。
「いいえ、今回、もっと楽しかったです!」ニッコリ!
作品紹介のスライドは同じのを使っていますが、話す内容が一段と詳しくなっていました。
笑わせるわりには、「人生訓」のようなハッとする言葉が入るのですが、こちらも増えてましたね。
前回は、我が家でも流行った「始めれば終わる。始めなければ終わらない。」
この言葉に匹敵するキラキラの言葉は?
「作り手が疲れていれば、読み手が疲れない。」
「めんどくさい方が面白い。」
笑いをとってばかり、(でぶやの石塚くんの間の取り方にそっくり!)の川端さんですが、
作品同様、かなり講演会の構想も練り上げている感じがします。
つかみは、軽いタッチの話から始まり、次に「開き読み」も含んだ、スライドでの作品行程説明。
最後には、必ず「人生訓」に匹敵するキラキラ言葉。
アンド、必ず入れる泣かせるエピソード。  
も〜、パーフェクト!!
意図してなくても、構成力バッチリの講演会で、安心して楽しむことが出来ます。
エピソードは、ほんとにお母さん方の心にジ〜ンだったはず。
私ももちろん、ジ〜ン。。。


講演会の「開き読み」を聞かれた方が、その絵本を買って読むと「川端さんの声がうるさい。」と。
講演会の時に読んでくださったのが印象に残ってしまったのですね。(笑)
で、その方のお嬢さんが東京の大学に行っているのですが、帰省するたびに段ボールの中の絵本を2〜3冊持って行くのだそうです。
何故かと聞くと「お母さんの若い時の、読み聞かせをしてくれた声が聞こえる」と。

これが絵本の力かぁ〜!
川端さんじゃないけど、ハンカチを目に「いい話やぁ〜。」(笑)

投稿者 mami : 17:02 | トラックバック (0)


2006年02月20日

瀧川鯉昇 (りしょう)師匠

20060220rakugo.jpgヤヤの小学校で「落語に親しむ会」が開催されました。
ダダを幼稚園から早引きさせてまでも、聞きにいった甲斐がありました。
浜松で、真打ちの落語家さんの落語を聞けるなんてぇ〜のはなかなかないのです。
(定期開催目指してはいるようですが「浜松寄席」)
しかも、小学生相手に1時間どう語るのか、興味シンシン。
一風かわった昔話 「ももたろう」、「つるのおんがえし」
ヤヤダダは、「花さかジジイ」のアレンジがサクッときたみたい。
「ここほれワンワン、ここほれワンワン。」「これこれ、ポチ。ここに、こんな穴を掘ってはならぬ。」
「ここほれワンワン、ここほれワンワン。」「これこれ、人の通る道に、こんな穴作ってはならぬ。」
「ここほれワンワン、ここほれワンワン。」「だめだと言っておるじゃろ。」
おじいさん、ポチのシッポをつかんでズルズルと…
すると、ポチ振り向きざまに「はなさんか、ジジィ!」(^○^)(^◇^)ギャハハハ!
さすが師匠。幼稚園児にもつかみはOKでした。
後半の落語は、なんと我が家での私の十八番、「まんじゅうこわい」。
ちょうど良かったね〜!本物聞けて。
帰ってからはこの話題で持ちきり。
去年、母だけ、柳家さん喬師匠の落語を聞いていたおかげで、ヤヤダダに
うどんとそばの食べ方をやって見せて驚かれてしまいました。
しばらく、落語ネタで楽しめそうです。

投稿者 mami : 16:15 | トラックバック (0)


2006年02月05日

エハン・デラヴィさんの講演会

20060205echan.jpg
基礎知識もなにもないまま、この方のお話を聞きに行ってきました。
スコットランド生まれで、ケルト族の末裔なんだそうですが、流ちょうな関西弁に「ご縁ですなぁ〜」のお言葉。
まさにそのご縁を、深い澄んだ目の奥に感じながらの3時間半でした。
作家・冒険家、そして「意識」研究家。
彼の話は日本人以上に日本人の「心」を伝え、日本から世界、地球、はては宇宙へと話が続きます。
何冊かの著書が売られていたのですが、会場での最後の1冊が私を呼んでいました。
「パワーかフォースか」デヴィド・R・ホーキンス博士の訳をエハンさんがなさっているもの。
「最初の3分の1は難しいから頑張って読んでね。」と言われてしまいましたが、
今日の講演会の話で つかみはOKです。
今の世の中の例えが非常に分かりやすかった。
青虫からさなぎ、さなぎから蝶に完全変態していく。
さなぎにインタビューしてみれば、体は動かないし頭はズキズキ、お腹も痛い。気分は最悪。
でも、先に蝶になって上から眺めれば…「今はツライが、もう少しで新しい世界が待っている。頑張れ。」と。
「世界や宇宙が変化していくのだから、人間の意識もアセンション(覚醒)していかなければならない。」
船井幸男さんやマザーテレサさん絶賛の本なのですが、私自身は消化するのにもう少し時間が必要なようです。

投稿者 mami : 22:29 | トラックバック (0)